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土浦藩土屋家の刀剣(国宝・国指定)

土浦市立博物館では、国宝1、重要文化財4、重要美術品6口を含む土浦藩土屋家の刀剣83口を所蔵しています。
土屋家刀剣の主なものは、二代藩主政直(まさなお)が所有していたもので、その中には将軍家から下賜されたものや他の大名家から贈られたものも見受けられます。政直は30年もの間老中を務め、土屋家は度々の加増の後、九万五千石を領する大名となっています。
政直の治世において集まった数多くの名刀は、土浦藩九万五千石のシンボルであり、家宝として歴代藩主によって大切に伝えられてきたのです。

なお、指定は刀身だけとなっています。

国宝-短刀「筑州住行弘(ちくしゅうのじゅうゆきひろ) 観應(かんのう)元年八月日」

南北朝時代(1350年)
地刃(じは)が冴(さ)え冴えとし、刃文が乱(みだ)れ主調で帽子(ぼうし)の返りが深い斬新なデザインの作品である。在来の鄙(ひな)びた九州鍛冶の作風には見られない作柄であることから資料的価値が高く、保存状態の良さと美術工芸品としての出来の優位性から国宝に指定されている。政直の正室幾宇子(きうこ)の父、松平若狭守康信(わかさのかみやすのぶ)(丹波篠山(たんばささやま)藩五万石)から贈られた。

国宝-短刀「筑州住行弘(ちくしゅうのじゅうゆきひろ) 観應(かんのう)元年八月日」

重要文化財-太刀「恒次(つねつぐ)」 鎌倉時代初期

この太刀は、細身で小切先(しょうきっさき)の優美な太刀(たち)姿を示し、地刃ともに健全で古青江(こあおえ)の特徴をよく表している。恒次の銘は代々名跡が継がれており、本作は後鳥羽院番鍛冶(ごとばいんばんかじ)の一人である恒次の作と思われる。水戸中納言(光圀)隠居の際に水戸少将より贈られた。

重要文化財-太刀「恒次(つねつぐ)」 鎌倉時代初期

重要文化財-太刀「信房(のぶふさ)作」 鎌倉時代初期

信房は、古備前(こびぜん)信房と古一文字(こいちもんじ)信房の2工が知られている。本作は、古雅(こが)な小乱れ主調の刃文の中に処々やや新味のある小丁子を交えていることから、後者の作と思われる。享保(きょうほう)3(1718)年、政直が老中を致仕(ちし)し隠居する際に、松平新太郎より贈られた。

重要文化財-太刀「信房(のぶふさ)作」 鎌倉時代初期

重要文化財-太刀「守家造(もりいえぞう)」 鎌倉時代中期

守家は、互(ぐ)の目(め)を多く交え頭が丸く腰のくびれた蛙子丁子(かわずこちょうじ)が特色で、乱れの谷にも蛙子状を形成するところに見処がある。出来、保存ともに同工中屈指の1口といえる。
元禄7(1694)年4月10日、土浦藩邸に御成りになった5代将軍綱吉より政直が拝領した。

重要文化財-太刀「守家造(もりいえぞう)」 鎌倉時代中期

重要文化財-短刀「國光(くにみつ)」(新藤五(しんとうご)) 鎌倉時代末期

身幅と長さの均衡が良くとれた内反り(うちぞり)となる姿、潤いのある地金(じがね)に締りごころに冴えた刃文は、短刀造形美の極致といえる。保存状態が頗る良く、帽子の返り部には沸(にえ)が地(じ)に零(こぼ)れて筋状(すじじょう)に喰(く)い下がる「翁(おきな)の髭(ひげ)」と呼ばれる同工の見処がみてとれる。

重要文化財-短刀「國光(くにみつ)」(新藤五(しんとうご)) 鎌倉時代末期

⇒土浦市立博物館に関する交通案内(アクセス方法)や公開状況など詳しくは、土浦市立博物館のホームページをご覧ください。

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