1. ホーム
  2. 市政
  3. 市の紹介
  4. 市の歴史
  5. 土浦市の歴史 - 原始・古代 -縄文~平安

市政

土浦市の歴史 - 原始・古代 -縄文~平安

水と緑がもたらした豊かな大地に、集落が生まれ日々の暮らしが営まれていました。

 水と緑がもたらした豊かな大地に、集落が生まれ日々の暮らしが営まれていました。太古の昔から、土浦は、海の幸、山の幸に恵まれた豊かな土地でした。

 土浦では、今から一万四千年以上前の旧石器時代から人々がすでに暮らしていたことを知らせる遺跡が、市内の摩利山・常名・木田余・田村・沖宿地区などの台地上50ヶ所以上で発見されています。

 縄文時代になると、霞ヶ浦は海とつながった入り江となりました。人々は土器の発明によって食料を調理・保存できるようになり、各地に集落も生まれます。上高津貝塚は全国でも有数の大規模な貝塚で、霞ヶ浦と人々の生活を伝える貴重な遺跡です。

 弥生時代になると、土浦でも谷津を利用した稲作がはじまります。弥生時代の集落は木田余・宍塚・永国などで発見されており、特に紫ヶ丘の原田遺跡群から発見された大規模な集落跡は、弥生時代後期では茨城県内でも有数な規模にあたります。
 その後の古墳時代には、土浦市内の台地上から発見される遺跡の数が増加することから、地域の人口は更に増加したことがうかがわれます。特に木田余台や常名台などでは大規模な集落跡も発見されています。また后塚古墳や王塚古墳、武者塚古墳など多くの古墳も、霞ヶ浦や桜川などを臨む台地に築籠目の付いた壺造されています。このころ土浦にも大和政権と手を結ぶような勢力をもつ豪族があらわれていたことを示しています。

 奈良・平安時代になると、中国の唐にならって律令と呼ばれる法体系が整備され、中央集権国家の形がとられます。全国は、道・国・郡・里(のちに郷)という行政単位に分けられ、農民には決まった面積の田が支給される一方、その代わりに納税や兵役の義務が課せられました。当時の常陸国は、十一の郡からなり、土浦市域は茨城・筑波・河内・信太の四郡にまたがっていました。田村・沖宿遺跡群や烏山遺跡に営まれていた古代のむらは、土浦市内のこの時期の有力な集落跡です。またこの時代は、仏教に代表される新しい文化が、地方へと広がりを見せ始めた時期にもあたります。根鹿北遺跡出土の瓦塔や常福寺の薬師如来などから人びとの仏教信仰を知ることができます。


 

問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)です。

上高津貝塚ふるさと歴史の広場 〒300-0811 茨城県土浦市上高津1843

電話番号:029-826-7111(直) ファックス番号:029-826-6088

問い合わせフォームはこちら

アンケート

土浦市ホームページをより良いサイトにするために、皆さまのご意見・ご感想をお聞かせください。
なお、この欄からのご意見・ご感想には返信できませんのでご了承ください。

Q.このページはお役に立ちましたか?
印刷する
  • 【アクセス数】
  • 【最終更新日】2008年12月5日
このページの先頭へ戻る
スマートフォン用ページで見る