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観光・文化

土浦の考古学(上高津貝塚ふるさと歴史の広場)

 第9回 市内西ノ崎遺跡出土の中世蔵骨器について 


 この資料は,昭和55(1980)年から同58(1983)年にかけて茨城大学人文学部史学教室〔当時〕が行った土浦市内遺跡の分布調査によって発見されたものである。後に,土浦市立博物館紀要第14号で比毛君男が実測等の資料報告を行っている。

  これによると,茨城大学の聞き取り調査によって,「数年前に蔵骨器と50cm四方の板状の石が出土した」とあり,石は蓋石として利用され,板状を呈する事から石材は雲母片岩の可能性が高いと判断される。後の聞き取りでは,発見者は畑地の耕作中に掘り当て,発見場所からやや離れた場所で同様の壺が別に1点出土したが,蓋石も含めて現在は所在不明である。
  出土した場所は,市内菅谷町西ノ崎で,南に一之瀬川と低地水田を望む台地縁辺部に当たる。現況は荒地で,現在の集落からは200m以上離れている。付近の小字には「西楽寺」「寺前」「座王」等が伝わる。西楽寺についての伝承は全く無いが,周辺には座王塚・田中薬師二十六夜供養塚・西久保塚等,塚が多く残る等,一定程度以上の宗教的環境は存在していたようである。

  蔵骨器は中世常滑窯産で完形の玉縁口縁壺である。中世常滑窯研究者たる中野晴久氏からのご教示によると,生産時期は常滑窯編年の6Aまたは6B型式期に当たり,13世紀後半代と推定される。内部には肩部まで火葬骨が充填している。
  茨城県内で同様の火葬蔵骨器は,約33例発見されている。大部分が偶発的な発見によるもので発掘調査で出土したものは少ない。石塔の調査を除けば存在を予想して発見し得た例はほとんど無く,単独発見の事例が多数で,複数資料が一度に見つかる事例は少数である。器種は,常滑または古瀬戸といった東海産の陶器が大多数を占め,在地産の土器や中国産の貿易陶磁の事例は乏しい。

  このような中世火葬蔵骨器は,平安中期以後廃れていた仏教火葬風習の復活と,中世以後の在地領主層・宗教勢力の伸張が背景にあると考えられるが,地域史上の文脈が辿れない事例も存在する。
  上記を踏まえると,当例は13世紀後半から14世紀代にかけて営まれたものと推定される。
『『『西ノ崎遺跡出土蔵骨器』の画像』の画像』の画像

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上高津貝塚ふるさと歴史の広場 〒300-0811 茨城県土浦市上高津1843

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  • 【最終更新日】2017年9月6日
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