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観光・文化

土浦の考古学(上高津貝塚ふるさと歴史の広場)

 第16回  「土浦は古代、窯業地帯だった土浦の須恵器生産」


  5世紀の初め頃(古墳時代中期初頭)、朝鮮半島から新しい焼物の技術が伝わりました。ロクロで形を作り、窖窯(あながま)で焼き上げた“須恵器(すえき)”と呼ばれる焼き物です。野焼きに比べ焼成温度が高く、最後に酸素を遮断すめるため、硬質で灰色に焼き上がります。初期の生産は、畿内や九州北部、東海など一部の地域でした。律令体制が始まる7世紀後半には、全国各地で窯がつくられるようになります。土浦でもこの頃に窯がつくられ、平安時代初めの9世紀末頃まで操業していました。
  現在市内では、市北西部の天の川流域や、その南の小高地区で12の窯跡が発見されています。これらの窯跡群を総称して、新治窯跡群(にいはりかまあとぐん)と呼んでいます。
  これまでに発掘された窯跡は、栗山窯跡(今泉町)と小野窯跡(小野)の2箇所です。栗山窯跡は7世紀末頃、小野窯跡は9世紀の後半に操業されていました。現在、新治窯跡群で確認されている窯では栗山窯跡が最も古く、小野窯跡は最も新しいものです。しかし、集落跡からは小野窯跡より新しい新治生産の須恵器が出土していることから、9世紀末頃に操業していた未発見の窯の存在が想定されます。新治窯跡群の最盛期には、県北、千葉県北部、栃木県南東部にまで製品が流通していました。その出土量から推測すると、この地に相当数の窯が存在していたと思われます。
  須恵器生産に必要なものは、材料の粘土のほか、燃料となる大量の薪、窯の補強や修理のための水です。また、製品を運ぶ手段も重要で、この地は霞ヶ浦高浜入りに注ぐ天の川や、土浦入りに注ぐ桜川に近く、地理的条件に恵まれた地であったと思われます。『『『栗山窯跡』の画像』の画像』の画像

 

 

 

 

 

 

 

写真:発掘された栗山窯跡(今泉町)

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上高津貝塚ふるさと歴史の広場 〒300-0811 茨城県土浦市上高津1843

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  • 【最終更新日】2018年12月14日
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