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観光・文化

土浦の考古学(上高津貝塚ふるさと歴史の広場)

 第17回  「古墳時代前期の玉作り遺跡  -八幡脇遺跡の調査成果から-


  土浦市おおつ野(旧沖宿町)の宅地造成に伴い、1988~89年に八幡脇遺跡が発掘調査され、古墳時代の玉作り遺跡が発見されています。当時の権力者が権威の象徴として、装身具や宝器として所持していた勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)を作っていました。4世紀前半から中頃に操業され、古墳時代前期中頃の玉作り遺跡として注目されます。
  土浦入りの玉作り遺跡は、とくにメノウ製勾玉生産と勾玉専用の内磨(うちみが)き砥石の初期の事例として注目されます。全国的にみると、これまで古墳時代のメノウ製勾玉は出雲地方(今の島根県)の特産品のように考えられてきました。しかし、八幡脇遺跡の調査成果から考えて、出現時期だけでなく、内磨き砥石の利用などから技術的に見ても土浦入りは出雲に先行し、独自の生産だった可能性が高まってきています。
  八幡脇遺跡のメノウの原材料は、茨城県北部の久慈川流域や、支流の玉川などに点在する河原の転石を利用していたようです。また、内磨き砥石に使われた結晶片岩(石英片岩や紅(こう)簾(れん)片岩)は、埼玉県西部の荒川上流や神流(かんな)川上流の三波(さんば)川(がわ)変成帯に産出するものです。直線距離にしてメノウは約60キロメートル、結晶片岩は約120キロメートルときわめて遠方から入手しています。いずれの材も、古くより両地域の特産物と認識されていたのでしょう。
  土浦入りには、烏山遺跡(市内烏山1・2丁目)など、同様にメノウ製勾玉生産を特徴とする玉作り遺跡が他にもあり、古墳時代前期に玉生産の拠点を形成していたと考えられます。土浦入りと出雲を比較すると、土浦入りの玉作りは、大和王権の意向により東日本への製品流通を目的に設置されたと推測されます。オレンジ色のメノウ製勾玉を主体とする「東の土浦入り」と、緑色の碧玉(へきぎょく)製勾玉を主体とする「西の出雲」の対比が注目されます。
  内海(うちうみ)の霞ヶ浦に面する八幡脇遺跡は、古代の大津郷(※大津は、大きな港の意)に位置しています。隣接する手野町には、古墳時代前期の大型古墳である后塚古墳と王塚古墳が築造されています。この一帯は、関東一円から東北地方に通じる水運の要衝として大和王権に重視され、玉の生産とともに傑出した政治拠点でもあったと考えられます。

  『『『メノウ未成品』の画像』の画像』の画像  『内磨き砥石』の画像
         メノウ製勾玉の未成品(八幡脇遺跡)                  結晶片岩製の内磨き砥石(八幡脇遺跡)
  ※写真は『八幡脇遺跡』2009年より転載しました。

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  • 【最終更新日】2019年2月6日
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