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旧川口川閘門鉄扉と排水ポンプが土浦市指定文化財になりました!

 「旧川口川閘門鉄扉及び排水ポンプ」が歴史資料第13号として、令和2年8月25日付で土浦市指定文化財となりました。

旧川口川閘門鉄扉及び排水ポンプ(きゅうかわぐちがわこうもんてっぴおよびはいすいぽんぷ)

 旧川口川閘門は霞ヶ浦の増水・逆流による冠水から土浦の旧市街を守るために、排水ポンプは閉門時に川口川の水を閘門の外(霞ヶ浦)へ排水するために設置されたものです。
 常磐線線路下の道路化・暗渠化によって、閘門の役割を終えましたが、遺されている閘門鉄扉及び排水ポンプは、水都として発展してきた土浦の水害の歴史を伝える貴重な資料となっています。

 展示はいつでも見ることができますので、ぜひ現地にてご覧ください。

 

(写真 左:閘門鉄扉、右:排水ポンプ)

  旧川口川閘門鉄扉 旧川口川閘門排水ポンプ 

※公益財団法人 東日本鉄道文化財団の助成金のもと、令和3年3月に閘門鉄扉及び排水ポンプの塗替えを行いました。

 

(古写真 左:霞ヶ浦増水時の閉門状況、右:上流側から見た排水ポンプ場)

  川口川閘門 排水ポンプ場

 

閘門鉄扉の概要

 明治29年に開通した常磐線は当初、土浦第二高等学校付近に土浦駅を設置予定でしたが、霞ヶ浦からの逆水を防ぐために代議士の色川三郎兵衛が働きかけを行い、路線を霞ヶ浦湖岸へ変更させ、土盛りの鉄道線路により防水堤としました。

 さらに、川口川河口部からの逆水防止のため、明治39年6月24日、機械開閉式の閘門が設置されました。色川三郎兵衛、桧山信可のぶよし土浦町長が地元の有志と協力して、県費を受けて建設したもので、設計は茨城県技師 関屋忠正によるものです。川口川閘門は何度も土浦の街を霞ヶ浦の逆水から守ってきました。

 昭和50~51年における常磐線下部の川口川の暗渠化、道路整備の際に、閘門南側の鉄扉が撤去され、残された北側も、昭和58年からの高架道路整備の際に取り外されました。鉄扉は劣化が著しく、上半分のみが残されることになり、自動車通行、交通安全の面から、すぐ近くのポケットパーク内に昭和61年3月22日に移設されました。

 

排水ポンプの概要

 昭和16年7月に新川からの越水、下水道の氾濫により市街地が冠水し、水を霞ヶ浦へ排水するためポンプを国から借用しました。その後も水害対応のためポンプを川口川閘門へ常設する必要があり、借用したポンプをそのまま購入しました。

 閘門脇には排水ポンプ場が作られ、昭和50~51年の川口川の暗渠化後も、使用されていました。そして、昭和61年に閘門鉄扉と排水ポンプ1機が移設・展示されることとなりました。

 このポンプは、株式会社荏原製作所製で、昭和16年8月製造の「ゐのくち式渦巻ポンプ」(※)です。ゐのくち式渦巻ポンプは、大正期後半から日本全国へ普及が進んだ機種です。

 ポンプのモーターは、取り付けられているプレートから、当初は昭和15年製造、富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)製のものがポンプと同時に設置され、昭和39年に株式会社飯村電工社(現・飯村機電工業株式会社)のものに更新されたと考えられます。

(※)ゐのくち式渦巻ポンプ
井口在屋東京帝国大学教授の理論によって作られたものである。教え子の畠山一清が実用化した。その後、畠山は「ゐのくち式機械事務所」(現・(株)荏原製作所)を設立した。現存する最古のゐのくち式渦巻ポンプは、1912年(明治45、大正元年)に畠山が当時勤めていた国友機械製作所で製作したものであり、千葉県桁沼揚水機場にて使用されていた。現在は愛知県犬山市の明治村にて展示されており、日本機械学会の「機械遺産」に認定されている。

問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは文化振興課 文化財係です。

土浦市教育委員会(ウララ2 7階) 〒300-0036 土浦市大和町9番2号

電話番号:029-826-1111(代) 文化財係⇒内線5120

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