人、ものが行き交う水陸交通の拠点、城下町土浦のにぎわいの歴史が刻まれました。
人、ものが行き交う水陸交通の拠点、城下町土浦のにぎわいの歴史が刻まれました。
慶長8(1603)年、徳川家康が江戸に幕府を開いてから約260年の間、外国との戦いも内乱もない時代が続きました。江戸時代に、土浦藩主として最も長期にわたって土浦地方を支配したのが土屋氏です。土浦土屋家二代政直は綱吉以降四人の将軍に仕え、老中在任期間は30年余に及び、関西や東北の飛地分も含めて9万5千石を領有しました。
幕藩領主による交通網の整備が進んだのもこの時代です。慶長9年には、江戸と水戸を結ぶ水戸街道が土浦の町の中に通されました。霞ヶ浦、北浦を経て利根川に入り、江戸湾に至る水路も形成され、年貢米や醤油・油・木材などを積んだ船が、53里(約212キロ)をおよそ二泊三日かけて航行していました。
水陸交通の要地であった土浦の商業は発展し、町の中には本陣・旅篭・問屋がおかれ、多くの商家が軒を連ね、江戸と取引を行う裕福な商人も出現しました。この時代の土浦は、野田や銚子とともに醤油の産地として有名でした。
江戸時代は経済的な豊かさを背景に、庶民が文化の担い手となりました。寺小屋による教育が普及し、公家や武士だけでなく庶民が文化を楽しむ土壌も生まれています。色川三中や沼尻墨僊をはじめ多くの優れた学者や文人が活躍した時代です。藩校「郁文館」では、藩士の子弟が学びました。
土浦は、江戸時代に基礎が築かれ、発展を遂げたまちと言えます。交通と産業の発展に支えられ、水戸に次ぐ常陸国第二の都市として繁栄していました。