商都として発展を続けてきた歳月、夢を持って力強く時代を生きた人びとの証です。
商都として発展を続けてきた歳月は、夢を持って力強く時代を生きた人々の証です。明治から昭和にかけての日本は、世界の大きな流れの中で、変化と進歩を余儀なくされました。
明治維新を迎え、政治の体制は大きく変わります。藩と県との併存を経て、明治4(1871)年に廃藩置県が行なわれ、土浦藩は土浦県になり、さらに府県の統廃合で新治県の一部となります。その後茨城県が成立し、明治22(1889)年の市町村制の実施で現在の土浦市を形づくることになる町村が生まれます。明治29(1896)年には鉄道が土浦から田端まで開通し、道路も広がりました。また教育制度も変化し、明治5(1872)年に学制が公布され、土浦町には明治6年に第一番小学(現土浦小学校)が開校しています。
昭和に入り、日本はやがて戦争へと進んでいきます。土浦周辺でも霞ヶ浦海軍航空隊予科練習部等が開設され、土浦は海軍の町となります。そのようななか、太平洋戦争が始まる前年の昭和15年(1940)に、土浦町と真鍋町が合併し、土浦市が誕生します。その後、悲しい時代を経ましたが、土浦は力強く立ち上がりました。
私たちのまちは、茨城県南部の中心都市としての役割をずっと果たしてきたのです。かつては、水運の拠点として、やがて鉄道が通ってもそれは変わりませんでした。そして現在、筑波学園研究都市に隣接する歴史と伝統のある都市として、未来へと躍進することを期待されています。